吟遊詩人 [16歳]x 【「生きることへの道」】 生きるとは何か。 今生きる意味を真剣に考えてもしっかりとはっきりと明確に答えられる人はいないだろう。 いるとすればそれは、九死に一生を得る体験をしたことがある人か、年齢が60ほどに達している人ぐらいだろう。生きることに明確な意味はない。それは事実である。生きることに意味を創るのは自分自身であるのだから。自分1人しかいなくて、自分を知っている人がいない、この状況にある人がたとえ自殺をしても誰も気づかないというのと同じである。自分を知っている人がいて、自分の存在が分かるようになった時から生きる意味が生まれてくる。 この意見を唱えると恐らく反論を出す人は、 「では、誰もいない民族のような所で生まれて周りの人がいなくなったら生きる意味はないのか?」 という意見を出すだろう。その意見は正しい。説明にあるとおり、周りに自分を知る人がいないからである。つまり生きる意味がないといえる。しかし、周りに認識する人間がいなくても、生きる意味はある。自我を保つことができてそれを楽しみに変えることができる人は、ある意味ではそれが生きる意味なのである。あるいは、その生活の仕方しか知らない人は苦にはならないし、その中で楽しみを見出せたならそれは生きる意味へつながるだろう。 いろいろ意見が出るかもしれないが、結果として 「生きる」の定義は存在しない。個人の裁量でも決まるし、 周りがそう評価してしまえるからである。究極の答えとしては「生きる」とは、個人が楽しむ道を見つけることができて、 自分がいいならそれでいいということになるだろう。 私自身の意見としては、 「世界に在るということが生きる意味」だと思っている。 以上 1/1323:20 吟遊詩人 (以下ノエル) [16歳]x 【新しい論の発見?】 最近新しく思い出してきた理論がある。 以前混沌が格言的な言葉で、 「自分が生まれていなかったら 地球は回っていなかったかも」 と言っていたが、それとは若干違って、 生まれてくる前の自分の記憶はないし、生まれてこなければその時代のことがわからないのだから今のこの時代よりも前に生まれているかもしれんし、未来の果てのほうに生まれていたかもしれん。 つまり、偶然の産物であるからして生まれてきたこと自体が 生きると言うことだ!! 以上新しい発見 蝶屋 y 【生とは喪われるもの。】 この世に生を受けた代償に死がある。 死があるからまた生を受ける。 この世に生を受けると云うことは 何かを成し遂げる運命を果たす為に 神から魂を受け取ると云うこと。 死とはそれを成し遂げた証。 成し遂げられず死すると云うことは 神から見捨てられたと云うこと。 自殺や処刑で死するのは自業自得ばかりではない。 中には運命の気まぐれもある。 時にそれらは運命が世界を 調整する為に仕向ける悪戯かもしれない。 今生きていると云うことは未だ 自分の背負いし運命を成し遂げていないと云うこと。 今生きていると云うことは 神が見守っていると云うこと。 あなた方が死する時は運命の悪戯でないことを祈りましょう 1/18 06:25 混沌 [1111111111]x 【うむ。】 生を恐れるな。死を恐れるな。 生きることに価値があり、死ぬ時になって証明される。 ・・・今を生きるのだ。しっかりと、力強く。 1/14 20:21 辰玲 [15歳]y 【生きるについて。】 生きる。 なんか難しいよね。 生きる。 血が流れていること。 心臓が動いていること。 呼吸していること。 人と出逢うこと。 好きな人と出逢うこと。 考えること。 感動すること。 泣くこと。 落ち込むこと。 希望すること。 絶望すること。 食べること。 寝ること。 動くこと。 静止すること。 生まれてくること。 そして。 死ぬこと。 本当に難しいよね。 生きるってさ。 1/15 22:13 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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